初代院長の想い

一瞬の事故、そして・・・

バスケットボール

私は、幼い頃から外で遊ぶのが大好きで、元気の良い
やんちゃな子どもでした。

中学、高校はバスケット部で汗を流し、楽しい学生
生活を送っていました。

ところが、私が高校3年生の時のことです。

自転車での帰宅途中で接触事故を起こしました。
一瞬のことで何が起きたのかわからなくて、気が付くと 自転車ごと転倒していました。

幸い軽傷ですみましたが、後頭部からの出血があったために、 病院へ行きました。

「後頭部外傷」で出血の処置をして、脳には異常はない とのことで、全治二週間のケガでした。
頭部の痛みはありましたが、身体に問題がなく、完治すれば
痛みは治まるものと考えていました。

しかし、それから体の不調がはじまりました。

高校3年、進路を考えていた時期に起きた突然の事故で、
体調が回復せず、不安な毎日を送るようになっていたのです。

突発的な頭痛に悩まされるようになり、それが何年も続き、
いつしか私から笑顔が消えていました。

その後も、目の症状やめまい、耳鳴り、動悸、ひどい肩こりと
症状は増えていきました。
社会人になってからも、精神的なストレスや疲労で不快な
症状は、年を重ねる度にひどくなりました。

何をやるにも、気持ちが前向きになれず、一日の仕事を
こなすのが精一杯の生活で、将来の希望も見えない中で
生きていたと思います。

病院では、原因不明の症状

病院

体の不調が続くと、精神的に不安が募り、自分ではどうする こともできなくなり病院へ何度も行きました。
しかし、検査では心電図に異常が出たものの、治療もなく、 説明もないために、落ち込んで帰ることが度々でした。

病院では、原因不明とされ何もしてもらえない。

自律神経の不調には、何の治療法もないことを痛感しました。 当時は、医療の知識もなく、無知であったことが体の不調を 長引かせてしまいました。病院以外の治療法があることも わからなかったのです。

体調不良を抱えながら5年が過ぎた頃、毎日の満員電車での 通勤や人ごみの中、どこにいても心安らぐことがなく、
都会の生活に息苦しさを感じるようになりました。

当時、勤務していた会社が南佐久郡でも事業をしていたこと
から、小海町に転居、仕事をさせて頂くことになりました。

体調は相変わらずでしたが、長野の自然の中での生活が合って
いたようで、気持ちは楽でした。
都会から離れることで、ストレスが軽減されたと感じています。

3年後に結婚。穏やかな生活をすることで、上手に不調と
付き合っていたと思います。

そんな生活をしながら、15年の月日が経ちました。

カイロプラクティックが、人生を変えるきっかけに

不快な症状と生涯付き合って行くしかない。治らないと
諦めていた時に、友人からの紹介で、カイロプラクィック
という治療法を知りました。

佐久市でも数件しかなく、認知度は低かったと思います。
私にとっては未知のもので施術を受けるまでは、期待は
していませんでした。

今より、体調が良くなればという気持ちから治療を受ける
ことにしました。

施術後の体の変化に感激でした。血液の循環が良くなり、
体がポカポカと温かいのです。

カイロプラクティックの効果に衝撃を受けました。

病院では、異常なしと言われていた症状の原因が、事故が
きっかけで、ムチウチ症になり、自律神経の不調によって
あらゆる症状が出ていることを説明して頂きました。
ムチウチ症の自覚すらありませんでした。

原因不明の症状の原因がわかり納得、長年の胸のつかえが
取れて心がホッとして救われた思いでした。

施術後の好転反応は、長く続きましたが、今までにない
体の変化を感じました。私の体は良くなるのではないか。
回復の兆しを実感し確信を持ちました。

私と同じ体の不調で悩んでいる方は、きっと多いだろう。

これからは、カイロプラクィック療法が、病院では治らない
症状や痛みを根本から改善してくれる治療法だと思いました。
カイロプラクィテックの魅力に引き込まれていきました。

一大決心をして、カイロプラクィックの世界へ

カイロプラクティック

不快な症状や痛みが、施術を受ける度に軽減されて、
いつしか、体から力が抜けるようになり呼吸も睡眠も
楽にできるようになりました。

日常生活を過ごすことも、気持ちまでも楽になり、健康でいる ことの大切さを実感するようになっていました。 「元気になって、カイロプラクィックを学びたい」という 思いが強くなっていきました。

人生の目的ができたことは、大きな喜びです。

想いは実現する。心の動機が症状の回復を早めてくれたと
感じています。夢や希望を持つことも忘れていた私にとって、
人生を変える大きなチャレンジでした。

34歳主婦。新しいことへの挑戦は、楽しみでもありましたが、
とても勇気がいることでした。今までやりたかったことを
諦めていたからです。

「自分のやりたいことなら頑張ってみなさい。あなたなら
きっとできる。」主人の言葉が背中を押してくれました。
理解のある主人で良かったです。

仕事もしていたため、2年間はとても大変でしたが、やると
決めたら何とかなるものです。2年間カイロの勉強に没頭
しました。

段階的に研修を受けて、ようやく全ての研修を終了したのが、
平成10年です。体調不良も度々ありましたが、乗り越えた
達成感がありました。

多くの皆様に助けていただきながら、乗り越えることが
できたことに、喜びと感謝の気持ちでいっぱいでした。

思うように体が動かなくて

私の体の不調は、完治したわけではありません。
ムチウチ症や自律神経の症状は、天候や心身の変化で
不調は出てきます。やっかいな症状です。

体調の波はありましたが、その体験が健康への熱意を
強くしました。

地元には、治療院がなく「自分がやらなければ」と
いう使命感を感じて、平成10年4月に開院いたしました。

しかし、気持ちが元気でも体力もなく、心身のバランスが
安定していないために、不調が出ては休息することを繰り返し
思うように動けなかったのです。

自分の体と向き合う必要がありました。
性格もありますが、頑張り過ぎて疲労やストレスを
溜めてしまうのです。

1日に3人施術をすれば疲れ切ってしまう。この状態で仕事が
できるのだろうか?思うようにいかないこともストレスに。
そして、体調不良。心と体は一体です。

無理をせずに、週に3日施術日を決めて仕事を始めました。
1ヶ月に2回の健康教室を行い、地域の皆様と繋がり、痛みを
分かち合い、感謝の言葉で元気をいただきました。

遠回りをしましたが、ようやく

小海町松原湖

開院してから2年が経ち、体調も落ち着いてきました。
健康教室で出会った皆様が来院して下さり、患者さんも
徐々に増えて、気がつけば通常通り仕事をしていました。

健康を取り戻し、仕事をする意欲も体力もつき、平成15年に
現在の店舗に移転しました。

小海町を選んだのは、結婚前から仕事で地域の皆様とご縁が
ありました。結婚後も、小海町・松原湖の観光協会に勤務
しており、私の第二の故郷として地域の皆様のお役に立ちたい
との決意からです。

治療家として15年、自らの経験を生かして地域の皆様の
拠り所として健康を支えてまいりたいと思っています。

真の健康は、心と体の調和した状態であり、そして、
「自分らしく、生き生きと人生を楽しむこと」だと考えています。
これが私のモットーです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

このページの先頭へ